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ノート
 

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5.映画祭のエピソード-2(トリノ続き)。

 『悲しくなるほど不実な夜空に』は、その部門を担当したニコラ・ロンドリーノさんって人が気に入ってくれてたみたいで、映画祭の事務局に行ったときに、すごい笑顔で「俺がお前を呼んだんだ」って来ました。彼曰く、シンプルなストーリーで複雑な構成が気に入ったとのこと。ただ、こちらがイタリア語も仏語はもちろん、英語さえもほとんど駄目ってのを知ると「じゃあな」ってどこかに行ってしまいました。期間中、上映されたのは計2回。その最初の日に彼は母親に見せたくて呼んだらしいけど、「怒って帰っちゃったよ、ハッハッハッ」って笑ってました。家に帰ってだいぶやいやいと怒られたんじゃないかなあ。

 で、日本に帰って、12月にはTOKYO FILMeX2000のコンペ部門ですね。これは大変嬉しかったです。が、記者会見があるというのは初めての体験で、ずっと緊張しっぱなしでした。FILMeXの公式ページにインタビューが少し載ってるんですけど、ディレクターの市山さんに聞かれて、あわててフリーズ状態の頭を回転させて喋ったものだから、口が勝手に喋ってるという感じで。やっぱり何を喋ったか覚えていないという(笑)。

 2001年に入ってからは、春にモスクワ国際映画祭のデビュー・キノタブル部門で、特別招待という形で作品だけ行ってます。

 (2002.4.30追加)2002年は念願の香港でした。高校以来だから10年来です。 実に良くしてくれた映画祭で、バッグ、トートバッグ、傘、やたら豪華なパンフ、ランチ2回、あと、焼飯食いたいだ、粥だと言うと連れてってくれたり(自分で行った店はすっげぇ不味かった!)で良かったです。 でも、これは客人に対してもてなす習慣で、逆になるとこれ以上のもてなしをしないと駄目だよって、言われました。台湾人なんかもっとシビアだからねって。なるほど、 儒教の教えだっけ?これって?

 映画を観た客の反応は・・・トリノも日本も分かったタメシが無く、今回もよく分かんないです。 質問で、対話の目線がズレてるけどってあって、気まずい時等、目を観て喋らないのはアジア人特有かと思ってたけどそうでも無いと分かりました。

 そうそう、元彪(ユン・ピョウ)。ユン・"ピョウ"では現地では通じなかった。どうもユン・"ピュウ"らしいです。しかし奴はご当地ではそんなに有名と言うか人気は無いらしい。 今まで覚えた香港映画やらスターの漢字名が初めて役にたちました。

 向こうは、丁度雨期らしくて、じめじめと熱く(建物に入るとどこも寒い)雨ばっかで、日本の6月みたいでした。人によると1年中クーラーをつけてる人もいるとかで。でも香港映画でも冬のシーンがあって、それは寒そうなんですが。

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© 2000 宇治田隆史, お茶の間クラシックス